借り借りってバカみたい。

どうも。ふかちんです。

本日も思いのままに綴ってみます。

突然ですが、借りる•貸すという概念に世の中は少々過敏なような気がします。

"仕事であの人に親切にしたから、あの人も何かあった時に助けてくれるだろう。"

"私はこんなに彼に尽くしてるんだから、彼だって私を大切にすべき。"

"あいつに金貸したから、今度昼飯おごってもらおう。"

先に言います...
その考え方、危険です。

意識のある恩は、「過度な期待」を生みます。過度な期待はのちに「執着」を生みます。

執着を持つと苦しみが増すって仏教では言うじゃないですか?

"私は助けたのに、なんであんなに冷たいの?"

"こんなに尽くしてるのに、彼はなんにも返してくれない!"

"金貸したのに返さないなんて、マジで友達の資格ないわ。"

あなたが期待すればする程、期待に見合わない結果に苛立ち、絶望するのです。

そもそも、見返りを求める貸しは貸しではないですし、そうゆう貸しには貸される側も気づいてるんですよね。

わたしのバイブルとする映画【下妻物語】で深田恭子演ずるロリータファッションに身を包んだ主人公桃子はこう言います。
借り借りってバカみたい
自分が大事なものは絶対貸しちゃいけないの
貸してもいいのはどうでもいいものだけ
だから私は借りたものは返さない主義
その代わり貸す時は戻ってこなくてもいいって思うの

私はこの映画を見た当時、随分感動したのを覚えています。

借りたものが返ってこなくていい、なんて考えがあるのか...と。

そこから、大切なものや汚されたくないものは貸さないようになり、貸すときは返ってこなくていいと思い、逆に貸すといわれてもそんなに興味がなければ返すときのめんどくささを考え、先に断るようになりました。

この【貸さない•貸したものは返ってこなくていい】の考え方は自分で自分を苦しめることをやめ、人生を自由に生きる術を教えてくれるのです。

貸すことは一時、自分をいい人かのように見せます。でも、ほんとにいい人になりたいなら、過度な期待をしないために貸さない方がいいのです。同時に相手に期待させたくなかったら、借りもつくっちゃいけません。

借り借りってバカみたい...
借りなくていい。
貸さなくていい。
貸すくらいなら、いっそあげちゃうくらいがいいのです。

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置かれた場所で咲きたくない。

初めまして。
ふかちんと申します。

ブログを始めました。
徒然なるままに日々の記録を残していこうと思います。

いきなりですが、私は何者か...
なんて、下手な自己紹介は省いて、

本日の言いたいこと...

『置かれた場所で咲きたくない。』

先日、友人と本屋にいたとき、「置かれた場所で咲きなさい」という本を見つけました。

置かれた場所で咲きなさい

置かれた場所で咲きなさい



前にも見たことあるこの本のタイトルが、しっくりこず、思わず友人にこう言いました。

「置かれた場所で咲けないなら、そこから逃げればいいと思う。」

そう。私は生粋の平成っ子。

置かれた場所で咲きなさいなんて、昭和染みた考え、全くもって賛成しません。

仕事が嫌ならやめればいい。
バイトが嫌ならやめればいい。
部活が嫌なら、
恋人が嫌なら、
友達が嫌なら、
やめればいいんです。

(念のため言っておくと、私はこの本をまだ読んでないので、タイトルだけで物を語っています。内容に誤解があったらごめんなさい。)

さて、経済学に比較生産費説という考えがあります。
ひかくせいさんひ‐せつ【比較生産費説】 リカードによって提唱された外国貿易および国際分業に関する基礎理論。 一国における各商品の生産費の比を他国のそれと比較し、優位の商品を輸出して劣位の商品を輸入すれば双方が利益を得て国際分業が行われるという 比較優位

要はそれぞれの国が自国な得意なことに専念すると、世界全体の生産性があがるということです。

これは個人にも言えると思います。

例えば、合わない職場で自分の長所を活かせないで時間を無駄にしてるなら、さっさと辞めて、得意な仕事についた方がいいんです。

長く続けることに意味があるとか、忍耐が全てだとかって意見を全面から否定はしません。

でも、反対に自由に自分らしく得意なことだけで生きている人が「真面目に生きてない」とバカにされることほどくだらないことはない。

だって、経済学のエラ〜い人が証明してるじゃないですか。

君は君らしく、得意で、のびのびとできることを選べばいい。

そうやってみんなが生きれば、世界のパワーにつながるのです。

置かれた場所が嫌なら、潔く逃げちゃいましょう!

【補足】
この話を友人にしてから数ヶ月後、尊敬して止まないイケハヤ先生のブログを読んでいたら、彼もまたこの本に疑問を持っていて、とても感動しました。